世の中のために立ちたい・・・・10歳の少年の「原点」

10歳にして政治を志す
私は工業都市延岡で育ちましたが、今思いますと10歳の時に起きた出来事により、今の「政治を志す原点」が出来ました。   1つは、オイルショックでした。 オイルショックは、 「父の勤める会社(注:旭化成)が倒産する!?」 という危機的状況でした。 私の家の前の広場で、多くの人達が鉢巻をして座り込み、ストライキをやる。その皆様方の深刻な表情が、今も脳裏に焼き付いています。   そしてまた丁度同じ頃、水俣病に端を発する公害問題が、延岡でも大きな問題となりました。 元々チッソという会社と旭化成が同じ会社だということもあり、 「排水に有機水銀が入っているのではないか?」 と。 特に私の父が工場長を務める薬品工場が、排出元ではないかと疑われていました。   オイルショックに関し、会社の方々が連日我が家を訪問。また公害問題に関しては地域の方々が来られ、父と話していました。 今までのお客様方とは異なる、言い争いになるシーンにおいて、父が小突かれたり叩かれたりする様子を見ました。   子供にとって、父親というのは大きな存在です。その大きな存在が他人によって小突かれたり叩かれたりし、しかし何の抵抗もしない。子供ということで意味はわからないながらも、大変なショックを受けました。    
自分も世の中のために立ちたい
そういう状況の中で、 「自分も世の中のために立ちたい」 「みんなが平和で安心して暮らせるような、そんな世の中にするために、自分も役に立たんといかん」 と思うようになりました。   その気持ちは、今も何ら変わっていません。

中央そして地方の「両方を知る」機会を得る

自治省に入省
就職先を選ぶ時期が来た時、延岡の出身者として、 「地方が栄えてこそ、日本が栄える」 「日本が栄えるためには、それぞれの地方が栄えなければ、栄えたことにならない」 という信念をずっと持っていましたので、そんな仕事ができる職に就きたいと考え、自治省(注:現在の総務省)に就職しました。   以来26年間、地方の発展に関する様々な法律を作ったり、様々な制度を作るといった経験をさせて頂きました。   そして時々、地方自治体の現場にも行かせて頂き、自分達が作ってきた制度を使って地域振興の実践も行う。実践を行うことで、東京の霞が関、永田町で考えられた制度がいかに地方の実態に合わないか、それがわかる。 そしてまた東京に戻って自ら制度を変える。直す。或いはまた新しい制度を作る。そのような仕事ができる。そういう点で、自治省に就職してよかったと思う場面が何度もありました。   しかし時を経るごとに、段々地方の現場の声と東京の政治の実態が合わなくなってきている。合わなくなってきているのに東京で仕事しなければならない。そういう「公務員としての仕事の限界」も感じました。

ふるさと延岡のために頑張りたい・・・・

目の前の人々のために
故郷延岡に戻り、同級生から言われたこと。 「東京からいきなりポンと帰ってきて、偉そうに『政策はこうあるべき』と言っても、誰の役にも立たんじゃないか」   気付かされました。 「目の前には、『子供を殺して私も心中する』といった(切羽詰まった)人達がたくさんいる。偉そうなことを言う前に、そんな目の前の人々のために自分の出来ることを精一杯やる」 「そういうことを積み重ねた後に、政治だとか選挙だとか、その時に初めて考える」   そこで自らの頭の中からいったん政治、選挙を消しました。   厳しい経済事情の中、自ら会社を興し、ふるさとに雇用の場を作り、1円でも多くふるさとの所得を上げよう。 そして1人でも多く県外から人を呼んでくる。そんな事業をやろう。・・・・ そう考え、同級生と一緒にベンチャー事業「こどもーる」を興しました。 こどもの学びや子育て支援、いじめ、不登校対策や子供の居場所作りなど、民間企業としてやる会社を立ち上げ、以来、中小事業者として宮崎の厳しい経済事情の中で走り回る日々を過ごしております。

私の政治信条

ヒューマン・ファーストな政治、すなわち、 「人であり、人の命であり、ひとりひとりの生き方であり生活でありといったものを第一に考える、大切に考える」 これが私の政治信条です。    
ヒューマン・ファーストな政治
ベンチャー企業の経営者として、宮崎の厳しい経済事情の中走り回る一方で、先日まで長崎県立大学の教授も兼任しておりました。   若い人ひとりひとりの良いところを見出す。引き出す。・・・・ そういう教育人材育成をさせて頂きましたし、研究者として、 「福祉を向上させることによって、地域の経済を振興する。福祉と経済は別物のように考えられ勝ちですが、一石二鳥を選ぶような、そんな政策はどうあるべきか」 そのようなことも研究する機会を頂きました。   中小事業者として走り回り、社員と一緒に心を合わせ、 「お客様にベストなサービスを提供しよう」 そう思いつつ、改めて気付かされたことは、 「この地域社会が、ひとりひとりが、安心して平和に暮らせる。そうならなければ働くことも、生き甲斐を見出すこともできない」 「経済の再生もまず『くらし』であり、生活が安全、安心であるべき」 ということです。   そう痛感し、私の今の政治信条としましては、 「ヒューマン・ファーストな政治を作らなければならない」 つまり、 「人であり、人の命であり、ひとりひとりの生き方であり生活でありといったものを第一に考える、大切に考える」 そこから始めなければならい。そのように考えます。    
『社会的弱者の人達の声が通る政治』の窓をこじ開ける
私も中小事業者として、仲間と一緒に仕事をしながら、働く人が安心できる状態でなければならない。そして社会的弱者と言われる人達を守る。その必要性を痛感しています。 そのためには社会的弱者と言われる人達の声が通る政治。その窓をこじ開けねばならない。そう思っております。