後援会会報誌より

後援会会報誌 2017年 第2号   →おもて面文字起こしへジャンプ   doc01375120170610234555_001   doc01375120170610234555_002
開設式において、決意並びに政策の一端を述べました。

よみやま洋司後援会では、去る2017年3月7日に新事務所の開設式を行いました。その際、よみやま洋司は次のように決意並びに政策の一端を述べました。 多くの参加者から、 「感動して涙が出た」 「この人なら変えてくれると確信した」 などの声が上がりました。


  1. このたびの市長選挙は、私たちが「今までと何も変わらない延岡」を選ぶのか、それとも「今までとは違った、新しい延岡の出発」を選ぶのか、の岐路。延岡市は人口減少が県内で一番多いまち、今までの継続で良いはずがない。
  2. 予算編成や大規模事業を決める前に必ず市民の声を聴く「まちづくり基本条例」を制定し、真に市民が主役の市政を実現。
  3. 北方・北川・北浦それぞれの特色を大切にし、フルに活かし、即断即決の総合支所とするなど、市内での分権を進める「延岡合衆国」づくり
  4. 「愛と勇気とビジョンの市政」の実現 ~ 建物ではなく「仕組み・仕掛け」を新たにつくる
    1. 経済・産業・雇用
      • 総合商社的な組織による「外貨を稼ぎ、中で回す」経済再生策
      • 「企業&起業誘致」「物流拠点づくり」等で雇用・現金収入増
      • 第一次産業を市政の大きな柱に。「農山漁村版ハローワーク」設立で現金収入増
      • 中心市街地を生活・仕事・交通の3つの拠点にすることで再生
      • 県北一丸となった新たな観光振興政策で県北に300万人誘客
    2. 「こどもーる」の経験も活かした教育・子育て支援の強力な推進
      • 「延岡こども未来研究所」創設等で「世界一」の教育・子育て支援のまちに
      • 教育・子育て現場をサポートする新たな仕組み構築
    3. くらしの土台づくり
      • 「新型バス交通ネットワーク」構想推進
      • 医師不足解消の「新型病院」構想推進構築
      • 「365日駆け込み寺」、地域包括ケア推進、サービス提供現場もサポート
      • 防災・減災対策
    4. 国体開催も見据えさらなる「アスリートタウン」推進
  5. 行財政改革をしっかり進めるとともに過疎・離島対策事業など国の財源をさらに獲得・活用。「年度末の予算使い切り」をなくす。
  6. 各政策を貫く考え
    • 基本となる考えは「愛と勇気」、人の暮らしに寄り添う市政に。そして前例のない政策を思い切って行う勇気。国と直接交渉し、国を動かす大胆な政策を実行。地方も国も世界も知り、官も民も知る、若い私にこそその役割を担わせていただきたい。
  7. 終わりに
    • 「脱皮をしない蛇は滅ぶ」。私たちのまち・延岡は勇気をもって「脱皮」しなければならない。
    • 「焼き畑」のように、選挙で市内全てを焼き尽くした後に、はじめて、清らかでみずみずしい、新しい命が力強く誕生する。今回の選挙で「新しい延岡」の幕が開く。主役は市民。合言葉は「よみやまようじ」


よみやま洋司
地方も国も世界も知り、官も民も知る、若い力!

よみやま洋司がつくる「新しい延岡」

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よみやま(読谷山)洋司の略歴(延岡市出身)
1964年生まれ。延岡市立緑ヶ丘小学校・南中学校出身。 1986年東京大学経済学部卒業、同年自治省(現在の総務省)入省 以後、国・地方自治体・世界機関でさまざまな仕事に取り組む。
  【国】 自治省・大蔵省・総務省・内閣等で財政、金融、地域経済再生、地方分権改革などに取り組む。内閣官房内閣参事官等を歴任。
  【地方】 青森県、新潟県、岡山市、徳島県、愛媛県、沖縄県の6つの地方自治体で地域経済再生、福祉、環境、都市開発、行財政改革などを実践 (愛媛県総務部長、岡山市副市長なども歴任。)
  【世界機関】 国連コンサルタントとして諸外国の行政改革を支援  
2012年 退官・帰郷。行政書士として市民や地元企業等のサポートを行うとともに、ユニークな子育て支援会社「こどもーる」を延岡で起業。
2014年一般社団法人延岡観光協会副会長就任(兼務)
2015年長崎県立大学経済学部教授就任(兼務)
2016年参院選に挑戦(無所属)し落選
現在 子育て支援会社会長・「歩く『お困りごと相談所』」としての行政書士という延岡の地場の中小事業者として走り回りながら国際ビジネス等にも参画。
 
どんな延岡にする考えか
「頑張っていればきっと良いことがある」 と信じて市民が前進できるふるさとをつくる
  • 市民の多様な声をしっかり聴き、政策につなげる市政
  • 市民に寄り添い、伴走し、解決する暖かな心のこもった市政
  • 前例・他例にとらわれず思い切った政策を実行する市政
  • 医療・教育等を重視し人口減に歯止めをかけるとともに、交流人口・「人交密度」増のワクワクするまちをつくる市政
「愛と勇気とビジョンの政治を延岡市民党で実現」
 
愛あふれる延岡づくり~そのための政策構想(例)
1.やさしく、守る
  1. 「市民と熟議する市政」を実現
  2. 誰も置き去りにしない医療・介護・福祉を
  3. つよいまちをつくり、暮らしを守る
  4. かがやくまちをつくる
  5. 次世代を守り、育てる
  2.勇気をもってチャレンジ
  1. 産業づくり・しごとづくり
  2. ひとづくり
  3. まちづくり
  4. 県北全体を活性化し我が国をリード

延岡ビッグ・ビジョン・3

世界と日本が注目する3つのビジョンを実現します。
ビジョン1

世界が注目する教育・健康・文化・スポーツで心豊かなまち延岡

  • 世界一の「人間力」を育む教育・子育て
  • 日本一長い健康寿命のまちを
  • 日本一文化・スポーツ・芸術・芸能を大切にするまちを
 
ビジョン2

日本中が注目する新しい経済のまち延岡

  • 日本一の自立できる農林水産業を
  • 日本一の自給エネルギーのまちを
  • 日本一会社を起こしやすいまちを
  • 日本一のものづくり技術のまちを
  • 日本一兼業・副業しやすいまちを
  • 日本一のデータ拠点・ICTによる市民サービス向上のリーダー都市に
 
ビジョン3

日本中が注目する暖かい絆のまち延岡

  • 日本一市民の声を聴くまちを
  • 日本一市民の不安や苦悩に寄り添うまちを
  • 日本一つながりを大切にし経済活性化につなげるまちを
  • 日本一の「6S観光」・広域観光のまちを

日々考えていること

よみやま洋司は「歩く『お困りごと相談所』」です。 よみやま洋司は「よろず何でも相談所」です。   介護、福祉、医療、教育、子育てなど、皆様のお悩み・お苦しみをご相談下さい。 よみやま洋司は一緒に悩み、一緒に苦しみ、そして一つ一つ解決します。 延岡にもどってからの5年間、行政書士として、多くの方のお困りごと・お悩みごとの解決や、地方企業の皆様の課題解決などのお仕事をしてきました。   不安、お悩み、お苦しみを抱えておられる方、夜中でもかまいません。 いつでもお電話下さい。ぜひともお役に立たせて下さい。     ・・・・2017年1月2日の街頭演説より

世の中のために立ちたい・・・・10歳の少年の「原点」

10歳にして政治を志す
私は工業都市延岡で育ちましたが、今思いますと10歳の時に起きた出来事により、今の「政治を志す原点」が出来ました。   1つは、オイルショックでした。 オイルショックは、 「父の勤める会社(注:旭化成)が倒産する!?」 という危機的状況でした。 私の家の前の広場で、多くの人達が鉢巻をして座り込み、ストライキをやる。その皆様方の深刻な表情が、今も脳裏に焼き付いています。   そしてまた丁度同じ頃、水俣病に端を発する公害問題が、延岡でも大きな問題となりました。 元々チッソという会社と旭化成が同じ会社だということもあり、 「排水に有機水銀が入っているのではないか?」 と。 特に私の父が工場長を務める薬品工場が、排出元ではないかと疑われていました。   オイルショックに関し、会社の方々が連日我が家を訪問。また公害問題に関しては地域の方々が来られ、父と話していました。 今までのお客様方とは異なる、言い争いになるシーンにおいて、父が小突かれたり叩かれたりする様子を見ました。   子供にとって、父親というのは大きな存在です。その大きな存在が他人によって小突かれたり叩かれたりし、しかし何の抵抗もしない。子供ということで意味はわからないながらも、大変なショックを受けました。    
自分も世の中のために立ちたい
そういう状況の中で、 「自分も世の中のために立ちたい」 「みんなが平和で安心して暮らせるような、そんな世の中にするために、自分も役に立たんといかん」 と思うようになりました。   その気持ちは、今も何ら変わっていません。

中央そして地方の「両方を知る」機会を得る

自治省に入省
就職先を選ぶ時期が来た時、延岡の出身者として、 「地方が栄えてこそ、日本が栄える」 「日本が栄えるためには、それぞれの地方が栄えなければ、栄えたことにならない」 という信念をずっと持っていましたので、そんな仕事ができる職に就きたいと考え、自治省(注:現在の総務省)に就職しました。   以来26年間、地方の発展に関する様々な法律を作ったり、様々な制度を作るといった経験をさせて頂きました。   そして時々、地方自治体の現場にも行かせて頂き、自分達が作ってきた制度を使って地域振興の実践も行う。実践を行うことで、東京の霞が関、永田町で考えられた制度がいかに地方の実態に合わないか、それがわかる。 そしてまた東京に戻って自ら制度を変える。直す。或いはまた新しい制度を作る。そのような仕事ができる。そういう点で、自治省に就職してよかったと思う場面が何度もありました。   しかし時を経るごとに、段々地方の現場の声と東京の政治の実態が合わなくなってきている。合わなくなってきているのに東京で仕事しなければならない。そういう「公務員としての仕事の限界」も感じました。